Bがキレた日
Bとの日々でストレスを溜めていた私は、飲むお酒の量が次第に増えていった。
普段はBに、メールと電話で拘束されているので、お酒を飲むのは仕事の飲み会、友達との食事になる。
友達との食事だから今日は遅い、と言えば、相手が誰だろうと女子会だろうと俺も行く、会わせろと言い出すので、いずれの用事でも仕事の飲み、と言う体にする事が多かった。
その日もだいぶ飲んで酔っ払い、帰る頃にBから電話がかかって来た(ちなみに飲みの最中にも何回もかかって来たが、面倒臭くなり途中から電話に出なかった)。
Bは、「女の子がそんな時間まで飲み歩くのは普通じゃない、君はおかしい」
と言った。
その瞬間、私の何かが切れた。
「だから、帰ってるって言ってるじゃん!」
気づけば、携帯に向かって怒鳴っていた。
Bは黙っている。
Bに対して強い言い方をしたのはこれが初めてだった。ああ、やってしまった、どうする? と怯える自分と、もうどうにでもなれ、とヤケになる自分がいた。
私は普段なら絶対に言わないであろう強い口調でBに抗議した。
Bは突然電話を切り、携帯が繋がらなくなった。
帰りの電車の中で、酔いが冷めるにつれだんだん自分は取り返しのつかない事をしたのではないか、という恐怖が芽生えて来た。
その日は久しぶりに自宅に帰り、Bの事が気になってはいたが、自分の部屋に戻った安心感からかすぐに眠りに落ちてしまった。
次の日、どんな事態が起きるのか、この時の私はまだ分かっていなかった。
「僕はどんな人と結婚するのかな」
息を切らしてBの車に乗り込むと、Bは無表情のまま車を走らせた。
「今日は家に来れるでしょ」と、私の返事を聞かずに夜の道を行く。
この頃、私の会社の近くまでBが迎えに来ることが多くなり、そのままBの家に直帰するので、私はほぼ自宅に帰らなくなっていた。
不意に、Bが「来月お世話になっている人のホームパーティがあって、彼女も連れて来るように言われたんだけど、どうしようかな」と、独り言のように呟いた。
私は何と言ったらいいのか分からず「…へえ、そうなんだ」と小さな声で返したが、Bは
「僕は毎年違う彼女を連れて行くから、君は来ない方がいいかもしれないな。これが新しい彼女か、と好機の目で見られるだろう」
というような事を言った。
パーティに行こう、と言う誘いではなく、私を連れて行けない理由を唐突に言い放った。
何だか急に疲労が襲って来て、黙っていると、Bは
「僕は将来、どんな人と結婚するのかな」と、小さな声で、しかしはっきりと呟いた。
Bの本意は分からないが、その言葉が甘い意味を持つもの、では決してないことだけは伝わって来た。
Bのつぶやきには、はっきりと悪意があったのだ。
告白された時、てっきりBは私と結婚するつもりなのだと思ったが、それは違った。
あれはお前のことじゃない、とBは暗に言っている。
そして、Bはやはり怒っていた。
無意識かもしれないが、私を傷つける言葉を、Bはその時初めてはっきりと放ったのだった。
私は何も言えず、外のネオンを映す自分の膝をじっと見つめていた。
Bとの日々②
Bの束縛は次第にエスカレートしていった。
当時、編集部のイベントで、どうしても帰りが深夜になってしまう仕事があった。
電車も無いため、家までタクシーで帰っていたのだが、そのイベント中にBから何度も着信があった。
流石に折り返せないため、コソコソとメールで「今仕事中で電話に出られない、ごめんなさい」と送るのだが、それでも電話はかかって来る。
しまいに、「終電までに帰らないのだったら、付き合いを考えたい」と返信が来た。
私は焦った。
今回も、最後まで仕事をすれば終電には間に合わないであろう。
だからと言って下っ端の私が先輩たちを差し置いて帰るわけには行かない。
震える手で「仕事だから抜け出すわけにいかない。分かってください」と返すと、「近くに車で来たので、なるべく早く抜け出すように」と返信が来た。おそらく、Bはその辺に車を泊めて待っている。
イベントはまだ終わらない。早く終われ、早く早く…。
撤収の合図がされるや否や、私は外に飛び出し、Bの車を目指し全速力で走った。
Bとの日々
Bと付き合うことになった。
Bは毎日、マメすぎるほどマメに連絡してきた。
昼夜問わず、メール(※当時はLINEがまだ浸透してなかったのです)は1日何十件、電話も何件もかかってくる。
前述した通り、当時私は編集部で働いていた。
編集者といえば、
・帰れない
・眠れない
・稼げない
で有名である(※ついでに風呂にも入れない)(※大手出版社のような天上人の話はしていませんよ!)。
その上、20代の私はまだまだ下っ端であった。
自分の担当業務のほか、雑用もしなければならず、締め切り前などは自分のデスクか会社のトイレがベッドがわりと言った有様だった。
そんな中で、何十件ものメールや電話をこなせるだろうか。
答えは「否」である。
だが、メールや電話に出れずスルーしていると、またしつこくかかってくる。
電話の内容はといえば「今何してる?」と言った感じの超絶無意味なやつだ。
それでも折り返さないと延々着信が来るので、作業の合間をぬってトイレで掛け直すなどしていた。
こんな状態で仕事が進むわけが無い。
仕事が進まないので、会社に泊まる回数が必然的に増えていく。
流石に深夜3時くらいになると電話攻撃が収まるので、その時間に集中して作業をこなしていた。
だが、Bは私が会社に泊まること自体が気に入らなかったようだ。
電話で「今日は仕事が終わらないので会社に泊まる」と言うと、
「こんな時間まで女の子が残っているなんて非常識だ、信じられない!」と嘆く。
その原因はあなたですよ、と、皆が思うであろうツッコミが入れられればよかったが、私はBに強くものが言えなかった。
年が離れていること、もともと仕事でお世話になった人と言うのもあったが、この頃の私は自尊心がミジンコほどの大きさしか無かったため
「Bはこんな私を拾ってくれた恩人だ。Bに嫌われたら私は死ぬ」
と、大げさではなく本気で思っていたからだ。
だから、Bの束縛にもはっきり「NO」と言えなかった。
冷静になって考えて見れば、これで嫌と言ったからお前と別れる、と言うやつの方がヤバいのだが、当時の私はそんな当たり前のことすら見えていない盲目の状態だったのだ。
すぐにでも結婚したい
Bからの告白を受けて、私はどう思ったかというと、正直とても面食らっていた。
前述したように、この頃の私は物事を全て人のせいにしているただのクソ野郎である。
そのせいで恋人にも愛想を尽かされた。
容姿も特に美しいわけでも無いし、ついでに貯金も無い。
社会の底辺中の底辺という自覚があったため、マイナーなスポーツとはいえ名声を築いたBのような人物が、どうして私ごときに告白などするのか、マジで全然分からなかったのである。
とはいえ、人様から好意を持たれるのは素直に嬉しい。
そして、Bは私にとって完璧な人であり、眩しい存在であった。そう、この時は。
私は、緊張しながら「はい。よろしくお願いします」と答えた。
Bはその瞬間「本当ですか!? ああ、よかった…」と心底ホッとした表情になった。
2人とも、なんだかふわふわした気分でポツポツ会話をする中で、私が何の気なしに「ひとまわりくらい年が離れているので、そういう対象ではないと思っていた」というと、Bの表情が急に硬くなり
「まりさん、僕は、次に付き合う人とは結婚したいと思ってるんです」
と、唐突に言ってきた。
…え?
け、結婚??
急な展開に呆気に取られていると、Bはなおもかしこまった様子で「だから、絶対にこの人だって人と付き合おうと決めていた。あなたは運命の相手だ」と言ってきた。
こんなことを言われて、私は大いに戸惑っていた。
気持ちはありがたすぎるほどありがたいが、Bとは知り合って2ヶ月だ。
その間に、Bは私の何を知ったのだろう。
本当の私を知ったら、200パーセント幻滅するに違いない。
内心穏やかでなかったが、私は小さな声で「…ありがとうございます」と呟いた。
Bはまた笑顔になって「よろしくお願いします」と、言った。
「付き合ってください」
Bに誘われて、その後も何度か食事に行った。
食事代は全てBが出してくれ、遅くなったので帰ろうとすると車で送ってくれた。
当時私は友人とルームシェアをしており、1つの部屋を3人で借りていた。
住所を聞かれたので、若干の不安はあったが、その頃はすっかりお世話になっていたこともあり正直に答えた。
Bと出会って2ヶ月ほどが過ぎたある日、またBからの誘いがあった。
「都心の〇〇ホテルのブッフェが美味しいので、一緒に行きませんか?」
それまでは誘われれば付いていった私だが、この時は少し身構えた。
ホテル…まさかとは思うけど、泊まりでは無いよね…??
Bには人として好感を持ってはいたが、まだ出会ってから2ヶ月しか経っていない。
まして、Bはあるスポーツでの有名人。力づくで何かされたらどうしよう…。
若干の不安はあったものの、それまでのBの紳士的な態度に後押しされ、私は〇〇ホテルへと向かった。
ホテルの豪華なブッフェを楽しみ、レストランがラストオーダーになった。
緊張する私に、Bは「1階のカフェでお茶でも飲みましょう」と言って来た。
Bは何も言わなかったが、この日はBの誕生日だった。
Bに取材をするにあたり、事前の準備としてBの記事などを調べていた私は、このことを知っていたので、「お誕生日おめでとうございます」と言い、デパートで買っておいたTシャツを渡した。これまでのお礼のつもりだった。
Bは飲んでいたコーヒーを置き「知ってたんですか!?」と驚いた。
そして、Tシャツはよく着るので嬉しい、と喜んでくれた。
喜んでくれたことにホッとしながらコーヒーをすすっていると、Bが改まった様子で「まりさんに話がある。僕と付き合ってもらいたい」
と言って来た。
Bの誘い
取材以降、何度か電話でBと仕事のやり取りをした。
何度目かの電話で、Bは「この辺でよく仲間と飲んでいるので、良かったらまり(※私です)さんもご一緒しませんか!?」と誘って来た。
私は食事の誘いが社交辞令では無かったのだと分かり、驚く反面少し嬉しくもあった。
Bは一応ある界隈で有名であり、こちらは身元を知っているということ、何より2人きりではなく複数で、というのが私の警戒心を解いた。
指定された日に飲みに行く約束をしたのだが、その日にどうしても行かなければいけない取材が入ってしまい、私は泣く泣く断りの電話を入れた。
てっきり流れるかと思ったが、Bは「じゃあ、別の日で!」と日程を変えてくれた。
仕事とはいえ、またしても私はBに借りを作ってしまったのだ。
約束の日、指定された大衆居酒屋に行くと、Bと痩せた初老の男性が2人で待っていた。
どういう関係か大いに気になったが、どうやらただの飲み友達のようであった。
私は日程を変えてしまったことを詫び、ひたすら恐縮していたが、Bは上機嫌のようであった。
終電が近くなったため代金を払って帰ろうとすると、「自分が誘ったのでここは大丈夫です。次は別のうまい店があるので、そこに行きましょう」と出した札を返されてしまった。
仕事で世話になり、ご馳走までしてもらってどうしようと思ったが、頑なになりすぎるのもかえって失礼かと思い、言葉に甘えることにした。
Bからまた連絡が来たのは、その次の日だった。